裏返される英字新聞。

裏返される英字新聞。

英語を学ぶようになったころから、店頭で英字新聞を買うようになった。

SNSでニュースサイトをフォローするようになってから買う機会は少なくなったが、それでも世界に対する嗅覚が鈍っているなと思うときなど、読みたい気持ちにかられる。

 

英字新聞は、世界の生の声だ。

日本のことも、英語で読むとたちまち目線は世界になる。

そんなホットなニュースが凝縮された紙のかたまり。

ネットがどれだけ発達した今でも、そんな紙のかたまりをじっくり読みこみたい気分になることがある。

 

そうやって英字新聞を不定期に購読するようになって10年ほど経つが、いまだに変わらない不思議現象がある。

 

コンビニ店員の対応。

想像を絶するほど、たいへんな勢いでマゴつくのだ。

 

英字新聞というのは、そんなにも珍しいものなのか。

少なくとも、あなたが働くこのお店にある商品を、レジに持ってきただけなんだが。

 

英語だから値段が分かりにくいかもしれない。

だから「150yen」と値段の書いてある面がパッと目に入るよう、表にして差し出そう。

こちらはこちらで、それなりに気を遣っている。

 

だがそんな気遣い、なんのその。

100%の確率で、店員は差し出された新聞をクルリと裏返す。

 

なんで?

そんなに?そんなに英語苦手?

だからこそ、値段の書いてあるほうを表に出したのに、意味ないじゃないの。

 

それでも我慢強く待っていると、どうなるか。

 

クルクルと裏表させながらも、時間をかけて表面の値段を見つけてくれることもある。

英字新聞というだけでパニックで、永遠にクルクルしつづけるだけのこともある。

 

もちろん後者の場合は「ここにありますよ」と親切にお伝えするが、そのとき私はちょっとスネている。

せっかく値段が見えるように出した私の心意気、台無し。

 

だが店員はそんなこと知ったこっちゃない。

英語の新聞なんぞ、差し出してくるからこんなことになる。

英語しか書いてない紙がくるなんて、想定外でしかない。

 

そんなことだから、まさか差し出された英語まみれの紙に、慣れ親しんだ「数字」が隠れているなんて想像できない。

きっと裏にこっそり書いてあるに違いないと思って、難問を解くようにとっさに裏を向ける。

 

だが実はこれには特別編もある。

「逆に裏にしておけばいいのではないか」と、敢えて値段を裏面にしたまま差し出したこともある。

案の定、クルリと裏返してくれた。

「やった!」と喜んだが、それもつかの間。

さらにクルリと裏返され、いつもどおり私の英字新聞はクルクルループへと迷い込んでいった。

 

この件に関しては、正解がいまだにわからない。

どうやったらコンビニの店員は、英字新聞からもっとラクに値段を探し出してくれるのか。

私にできることは、もうないのか。

冒険はまだまだ続いている。

 

コンビニ店員といえば、10代や20代の若者が多い。

ものごころついた頃からインターネットがあるネットネイティブ世代。

ということは、英語も「世界」も、上の世代よりいっそう身近に感じられてもおかしくない。

 

だがそんな若者たちでも、ただレジで英字新聞を差し出されただけで、これだけマゴつくのが現実だ。

まだまだ日本人と英語の間に高い壁があると感じずにはいられない。

 

日本人の英語への恐怖心は、教育からきている。

学校英語や受験英語のすべてが悪いわけではないが、英語に対する高い壁がいまだに取り払われていない。

これだけ教育を変えても、多くの日本人にとって未だ英語は遠い存在でしかない。

 

これを変えていくには、どうするのか。

まず教育の中心となっている30代〜50代が、もっともっと柔軟に時代の変化を受けとめる必要がある。

子どもたちへの教育方針を変える前に、英語教育者の英語に対する考え方を変える必要がある。

そのことを、声を大にして言いたい。

 

使えない英語を懸命に学ぶ時代は終わったのだ。

教育者たちは自分たちに植えつけられた英語への苦手意識は間違ったものだったと認め、しなやかに変化を受け入れるべきだ。

 

余談。

コンビニ店員の働きぶりに対しては、別の観点からも思うところもある。

 

自分の働いている店にある新聞なんだから、値段ぐらい知っておいてほしい。

あるいはレジの隅っこに新聞の価格一覧表でも置いておき、パッと参照できるようにしておくとか、色々あるでしょう。

 

店長も、自分が仕入れると決めたなら、ちょっとは気にしておいてほしいものだ。

 

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